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Suspicious Prosperity.

疑わしき繁栄

Twitter有害論。

 あけましておめでとうございます。

 新年初の投稿が物騒なタイトルで恐縮です。

 

 これまで「クレヨンしんちゃん」から「エロ本」まで、さまざまなものが青少年にとって有害視され、時にはPTAに睨まれたり、時には表現の自由問題に波及したりと世間を騒がせてきているけれど、自分に子どもができたらTwitter」については禁止したいと思うかもしれないなぁと感じる。

  Twitterは、確かに適切に使えば多様な価値観に気軽に触れることができる素晴らしいツールなのだけれど、如何せん思想が先鋭化しがちな点が大変に危うい。「自分が信じたいもの」を客観視でき、それに対してセルフで批判を加えられるほどのメタ認知を持っている人でなければ、どんどん視野が狭くなる。

 人は自分一人が信じる思想に強くコミットできるほど強くはない。けれども、その思想に同意してくれる人や、その思想に基づいた自分の行動を肯定してくれる人を得た瞬間に、コミット度合いは著しく上昇する。

 特にもともと自尊心が満たされていない人は、本来満たすべき「自己の存在そのものへの承認」ではなく「行動に対する承認」であっても貪欲に摂取したがる。そして承認対象が自分という絶対的な基準ではなく行動なので、更なる承認を得るためには行動を先鋭化していくしかなくなる。

 Twitterは「匿名」という点は2ちゃんねると同様でありながら「既にある場所にみんなが書き込むのではなく、みんなが自分の場を自分で作る」という点で異なっている。この点が重要で、つまり特定の思想に特化したタイムラインを作ってしまえば、後は外部から攻撃されない限りどんどん先鋭的に煮詰めていける、ということ。しかもそこでは、相互に承認欲求を満たす無限ループが構造的に組み込まれている。

 そんな状況で、自分の持つ思想を否定してくる存在に出会った時に、どうなるか。
 自分を承認してくれる「仲間達」を裏切ってまで、「敵」の言葉に耳を傾けるだろうか。仮に耳を傾ける姿勢は取れたとして、色眼鏡をかけずにフラットに「敵」の言葉を吟味できるだろうか。

 これについては、当人にとってのTwitter利用目的が「仲間達とのつながり」とは別の位置になければ難しいだろう。最初から「多様な意見に触れること」であったり「真に論理的な解を見出すため」であったりしなければ、「仲間達」を優先するのではあるまいか。

 Twitter上での思想的な意見の述べ合いを僕は「思想戦」だと思って見ているけれど、その理由は上記のような認識がゆえである。あそこで生じているのは「多様な価値観に触れて認め合う」ことでもなければ「価値観のすり合わせを行う」ことでもなく、「自分達とは異なる思想の奴らを徹底的に黙らせる」ことであり、言ってしまえば「異教徒共を殺せ!」というスタンスの発露だ。最初から相手の意見の正しさなど考慮に入れていないし、だからロジックの正しさよりも重箱の隅をつつくことがメインの攻撃になる。

 そんなわけで、「人はどれだけたやすくバイアスの餌食になるのか」について正しく認識したうえで、自分の意見を客観的に見るスタンスをとる訓練を積んでからでなければ、Twitterの魔性にとらわれずに活用するのは難しいのではないかと思う(まあ、思想戦クラスタと別の場所で生きる分にはよいと思うのだけれど。アニメとか)。

 

バイアスについては、「社会心理学」「認知心理学」等を紐解いてみるとなかなか面白いので興味のある人はググってみてください。「サイバーカスケード」「内集団びいき」「コンコルド効果(サンクコスト)」「確証バイアス」などはTwitter上での他者の行動の理解を容易にしてくれるかもしれません。

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