Suspicious Prosperity.

疑わしき繁栄

アナグマと正義の権利。

 「アナグマをバットで殺した」とTweetした高校生が、本名や在学校まで暴かれてしまった件がTwitter上で話題となっている。現在その高校生は鍵アカウントにして離脱。

 本件については、いろいろな論点がある。

  まず、アナグマをバットで殺し、それをTwitterに投稿したことの是非について。

 詳しい解説は割愛するけれど、「違法か合法か」という論点については、法律には抵触しないのではないかと考えられているようだ。
 とすれば、「インターネットに面白おかしく書くのは倫理観に欠けるのではないか」という論点が問題なのか。しかし、「倫理観に欠ける」というだけで本名や在学校を暴くのはやりすぎではないか。

 また、Twitterでそれを断罪することの是非について。

 僕も法律の専門家ではないので詳しくは断定できないけれど、本名や在学校を暴いたうえで叩くというのは名誉毀損に当たるのではないか。とすれば、他の方もTwitter上で指摘したように、「アナグマを殺した側は合法で、それを断罪する側が違法」という逆転現象が生じる。

 仮に法的な責任は問われないとしても、そもそも「Twitterで断罪する」という行為は本当に正義なのか、という論点もある。「悪いヤツを見つけた!⇒通報しよう!」であれば理解できるが、「悪いヤツを見つけた!⇒晒そう!」は果たして意味があるのか。「義憤に見せかけた目立ちたがり」である可能性も出て来るのではないか。企業による不法行為については情報を提供することで二次被害防止等の意義があるが、「アナグマをバットで殺した」ということを拡散することに意義がはたしてあるかどうか。
 もっといえば、何かの理由で当該の投稿が第三者により勝手に行われたもので、本名を晒された高校生は無実だった場合、その「拡散」に関する責任は誰が取るのか。悪評の流布に加担しておきながら、しらを切って終わり、でよいのだろうか。

 

  大多数の人は、「アナグマをバットで殺して誇らしげにTwitterに投稿している高校生は悪いヤツ」「それについて心を痛め、断罪する人は善人」と直感的に考えるだろう。
 しかし、法律はどうもそのようになっていない。

 

 僕はこういう、あまりに素朴すぎる正義感による私刑行為については以前より恐怖を覚えている。同じような構造を持っている問題はきっと世の中にたくさんあるのだろう。多分それで戦争すら起きている。

 「自分たちは絶対に正しいのだから、間違いを犯したやつを罰することもまた正義」と認識することに疑いを持たない人々。多分、日常生活においては彼らは善人なのだろう。ともすれば平均以上に。

 しかし、どんなに倫理的にアウトな案件に見えたとしても、「それが本当に違法行為なのかどうか」「違法行為だったとしても、行うべきは私刑なのかどうか」について、冷静に考える必要があるのではないか。誰かが違法行為を行っていたとしても、それを裁く権利を持つのは貴方ではないのだ

 そして、自分の側が正義であると感じたとしても、別の立場にいる他の誰かにとっても本当にそれが正義だろうか、と考えることも必要だろう。あるいは上述のように「実は真実は違った」場合に、執行した正義の責任を取れるかどうか。

 正義は一時の感情によって強行されるのではなく、一見して冷徹に見えてしまうほどに冷静な目線で粛々と執行されるべきものだと思う。それが、どこかの誰かの人生を狂わせてしまうポテンシャルを持つ案件なのであれば、なおさらだ。

広告を非表示にする