Suspicious Prosperity.

疑わしき繁栄

『劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-』の感想・考察と未来社会。※ネタバレあり

こんばんは、綾繁です。

ITの世界の末席を汚しながら生きている身として見逃すわけにはいかないということで、『劇場版 ソードアート・オンライン -オーディナル・スケール-』を見てきました。その感想と、個人的にはガジェットの描かれ方が非常に興味深く感じられたので、それらについても書きたいと思います。

なお、SAOのテレビ版は全話を見たうえでの感想となります。

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映画『アサシン・クリード』の感想と考察。※ネタバレあり

公開初日に映画『アサシン・クリード』を見てきました。

原作は一部のみプレイした程度の素人ですが、あの世界観や設定には唸らされました。パルクールアクションや主人公の衣装、イーグルダイブのコンセプトなど、非常にインパクトの強い要素を多数備えていて、ワクワクしたのを覚えています。

映画にもそのワクワク感はしっかりと受け継がれているようです…が、それだけでは済まないのが映画の難しいところなのかもしれません。

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FF15の感想とゲームとしての進化やビジネス的な視点。 ※ネタバレなし

FF15を無事クリアしました。

ので、最近は感想や考察が掲載されているブログ等を漁って過ごしています。生来そういった考察的な文献を好んでおり、ゲームや映画を観終わったらいつもウェブをうろついてはめぼしいものを収集していました。『ひぐらしのなく頃に』の真相考察とか、TYPE-MOON作品の世界観考察、用語集を眺めているときの僕の人生は確かに幸福だった。

そういうこともあって、FF15についても同様の行動パターンを踏んでいたわけですが、概ね世間の皆様の評価というのは固まりつつあるように見受けられます。

何となくながら、
「世界観やゲーム性や雰囲気作りについては光るものがあるものの、ストーリーは描写不足・説明不足が多すぎて厳しい」
というのが大勢のように思えますし、基本的には僕も似た方向性の感想を持っています。

とはいえよくよく考えてみると、ビジネス的な視点、エンタメ的な視点の両方から示唆の抽出しやすい、大変興味深い題材でもあるな、とも感じています。うまくいっているところも、うまくいっていないところも含めて。

キーワードは
「ゲーム体験の唯一性」+「リアリティの効果的な誘発」=作品へのコミットメント
といったところでしょうか。

ヴェルサスからずっと待ち望んでウォッチしてきたわけでもないので、これまでの開発側のアナウンスや事情等はあまり把握できておらず、推測を多分に交えながら書くことになるかと存じますが、ご容赦いただけましたら幸いです。

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Twitter有害論。

 あけましておめでとうございます。

 新年初の投稿が物騒なタイトルで恐縮です。

 

 これまで「クレヨンしんちゃん」から「エロ本」まで、さまざまなものが青少年にとって有害視され、時にはPTAに睨まれたり、時には表現の自由問題に波及したりと世間を騒がせてきているけれど、自分に子どもができたらTwitter」については禁止したいと思うかもしれないなぁと感じる。

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思想戦の時代に、ミームライフルを放て。【概観編】

 見聞を広めることに喜びを感じるたちながらも出不精である、という矛盾した指向性を抱えている僕にとってTwitterというのは大変興味深いユニバースであり、見知った人々ばかりが並ぶFacebook等とは全く異なる言説が流れていくのもふむふむと頷きながら眺めている。

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アナグマと正義の権利。

 「アナグマをバットで殺した」とTweetした高校生が、本名や在学校まで暴かれてしまった件がTwitter上で話題となっている。現在その高校生は鍵アカウントにして離脱。

 本件については、いろいろな論点がある。

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間違いを供養するということ。

 ブログを書き始めるときに、まず最初に考えてしまうのは「これは本当に間違っていない意見だろうか?」ということだ。一つひとつの要素に対する認識の間違い、各要素の間の論理的なつながりの間違い…考え始めればキリがないと表現して差し支えないくらいには、間違いを犯しかねないポイントは転がっている。僕の性格的な問題も多分にあると思うけれど、インターネットで何かを書こうと考える人であれば多かれ少なかれ、自分の書いたことが間違いである可能性について懸念を抱くのではないだろうか。

 しかし最近は、やはり思う存分に間違えるべきだな、と思い直し、こうして思いつくままに文章を書き連ねている。理由の一つは、現実問題として「絶対に間違えない」ことは困難であるという諦めの観点。もう一つは、間違いな意見はその方向が間違いであることを世の中に知らせるためにも役立つという側面があるのではないか、という比較的建設的な観点による。これにももちろんデメリットはあるけれども。

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テクノロジーは物語のなかに。

 下記の記事にて、オバマ大統領とMITメディアラボ所長の伊藤穰一氏による、人工知能やテクノロジーに関する対談を読んだ。

wired.jp

 トロッコ問題の例にもあるように、テクノロジーの高度化が進むにつれてその影響範囲は加速度的に広がっている。これまで人間が扱う道具でしかなかったテクノロジー群はいつしか人間の重要な意思決定に食い込むようになり、そしてそれ自体を代替しうる可能性も見せ始めてきた。そのときに重要な問いは「どこまで機械に決定権を持たせるか?」というものになると思う。

  医者の代替として診断を行う人工知能があったとして、その診断結果を医者がしっかりと監督し、承認するというプロセスを踏むのであれば問題ないはずだという意見も見かけるけれど、それだと人工知能を使う意味の半分程を失っているように思える。遅かれ早かれ、どこかしらの領域(たとえば「簡単な診断」を定義する等)は人工知能に任せようという話になり、結局は程度問題の話になっていくだろう。

 高度に倫理的な領域にまで人工知能がその冷たい両腕を伸ばしたとき、僕らは何を頼りにそれを受け入れ、あるいは拒絶するだろうか。僕はそこに、このような分野では不遇な扱いを受けてきたある種の「文系的な素養」が活用されうるのではないかと考えている。

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今年買ってよかったもの:『ルクエのポップコーンメーカー』

今週のお題特別編「今年、買ってよかった物」(2016年を買い物で振り返ろう

 

 今年がちょうど始まった頃に買ったこちら。

 映画館に行ったら必ずポップコーンを食べる、なんならポップコーンを食べるために映画館に足を運ぶといってもやぶさかではない程度にはポップコーン好きな僕が出会った素晴らしいアイテム。

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ロジカル正義論

 人間、生きていれば考えなければならないこともたくさん出て来るけれど、下手な考え休むに似たりという言葉もあることだし、なるべくならば効率的に、妥当性の高い答えにたどり着きたいもの。

 考えるといっても目的は多種多様で、バカ売れするような新製品のアイディアを考えたいのか、明日の献立を無駄なくお安く美味しく構成したいのか、顧客に自社製品を上手いこと買ってもらいたいのか、それぞれ思考回路は異なってくる。それでも何かしら共通項らしきものは見い出せるだろうということで、少し書いてみることにする。

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